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みなとみらいとともに歩む「帆船日本丸」、横浜港の歴史と役割を伝える「横浜みなと博物館」(1)

みなとみらいの玄関口、JR桜木町駅に降りたち、ランドマークタワーの方へ向かっていくと右手に見えてくる「帆船日本丸」。動く歩道から「帆船日本丸」の写真を撮る人も多く、横浜を感じることができるスポットとして、市民をはじめ多くの観光客に親しまれています。

「帆船日本丸」は今でこそみなとみらいになくてはならない存在になりましたが、そもそもそ「帆船日本丸」とは何か?どうしてみなとみらいに来ることになったのか、また、20年振りに実施することが決まったドライドックについて、「帆船日本丸」の船長、飯田様にお話しをお伺いしました。

「帆船日本丸」が造船されたきっかけとは?
1927年、鹿児島にある商船学校の練習船として使っていた帆船霧島丸が室蘭から石炭を運んでいたときに海難事故を起こし、53名全員が亡くなる大事故が起きてしまいました。荒波にも耐えられる頑丈な練習船を作らないといけないということで、1930年に練習船として造船されたのが「帆船日本丸」です。当時、地方には11校の公立の商船学校、官立の商船学校が神戸と東京にありました。官立には大型の船があり、二十歳前後の学生が乗っていました。対して、公立では中学校卒業後の学生など小ぶりな人が多く乗っていたため、マストやベッドも小ぶりに作られた練習船でした。

やがて、太平洋戦争が始まり、海軍の養成や石炭を輸送
太平洋戦争が始まると、年2回ほど行っていた遠洋航海も行くことができなくなりました。「帆船日本丸」、「海王丸」、「大成丸」、「進徳丸」といった大きな練習船4隻を集結させ、空襲を避けながら、瀬戸内海で発電用の石炭を運びます。ヤードはおろし、重石もあげて、石炭を積めるだけ積んで航海していました。当時、商船学校は文部科学省(当時文部省)にありましたが、戦時中は逓信省の管轄になりました。

終戦後、「帆船日本丸」の修繕へ。戦火を免れ奇跡的に残っていたヤード
「帆船日本丸」は、戦前・戦中・戦後、運輸省の航海訓練所に所属しています。戦後は、文科省の航海訓練生をお預かりし1984年まで訓練していました。船の寿命は一般商船で10~15年、部品の保存期間は大体10年です。保証期間が切れた物についてはコストがかかり、莫大な費用が掛かるので新しく作った方が早いのです。ちなみに国の船は30年程度です。
戦後、横浜の高島に造船所で取り外したスチール製のヤードが奇跡的に残っていました。ヤードは全部で6本あり、上3本が木製、下3本がスチール製でできていて、残念ながら木製のヤードは戦後のドサクサでありませんでしたが、スチール製のヤードは復旧することができました。1952年頃には「帆船日本丸」として元に戻し使い始めます。

「帆船日本丸のヤード」

アメリカと日本の関係の変化、アメリカ人の帆船に対する思い、国際親善行事に「帆船日本丸」も参加へ
やがて、冷戦に入り、アメリカと日本の関係も変わってきます。アメリカ人はヨーロッパから帆船で移民してきたこともあり、帆船に対する思い入れが結構あります。ちなみに、今でもトールシップレース(マストの高い船)をヨーロッパ、アメリカなどでは毎年開催し、何十隻と帆船が集まっています。
最初に「帆船日本丸」が参加したのは、日米修好通商100周年の1960年、ロングビーチ、パラマ運河を通ってニューヨークまで行きパレードをしました。バンクーバーやオーストラリアにも派遣しました。
「現役時代帆走中の帆船日本丸」

1984年、「帆船日本丸」も退船に。代船の日本丸には製作費用が70億。

予算付けにPRが必要に
長い航海の前には大規模修繕をしていましたが、ついに「帆船日本丸」も1984年に退船することが決まりました。代船を要求し始めたのは1974年頃からです。新しい日本丸には70億掛かるということで、予算をつけて貰うのにPRをしていかないといけなくなりました。当時、国内では帆船ブームもあり、大阪で2回ほど帆船パレードにも参加しました。これまで、ほとんど行っていなかった、船内の一般公開や、帆を張るセイルドリルをしたところ5時間ほどで一万人以上お越しいただき、これには驚きました。

「帆船日本丸」を横浜へ誘致するにあたって数々の提案、決め手になったのは?
「帆船日本丸」を横浜に持ってくるにあたって横浜市はプレゼンテーションを頑張っていました。どういう形で「帆船日本丸」を保存するのかということに対し、市はまず生きた状態で保管するということ、青少年の教育に活用することを主に提案しました。また、ボランティアスタッフを集め甲板磨きをすること、造船の歴史がある1号ドックの中で保管する、そういったことが、誘致への決め手になったのではないかと思います。83万人もの署名も集めました。
誘致が決まり、「帆船日本丸」が横浜に来た1985年から、小学校高学年を対象に、「帆船日本丸」や南伊豆臨海学園などの海に関する施設を活用した、よこはまこどもマリンスクールも始まり、現在も予約待ちになるほど人気で一年間を通し活動しています。

「1983年撮影」

太平洋の白鳥とも呼ばれている「帆船日本丸」
「帆船日本丸」は綺麗な形で保管しています。航海するとどうしても錆が発生しますが、ここではそういうこともありません。航海訓練所から現役を7名、OBを含めて4名、計11名で船体や帆のメンテナンスを行っています。セイル(帆)も1セット29枚、船の中で作っています。もちろんすべて手縫いです。「満船飾と総帆展帆の様子」

「帆船日本丸」のみどころについて
船に乗っていると、あって当たり前の存在になる。一般のお客様が来て感激したとメッセージをくれますが、当たり前すぎてなんでかな、と思うくらいです。
見どころというと、ベッドも木製の箱型で出来ています。これは、揺れても転げ落ちないための対策です。なんで甲板も木製なのかというと、断熱材としての役割が高く、鋼板だと響いてしまうし、クッションの代わりにもなります。それから、見たときに美しくないといけませんので、木も綺麗に張っています。家のフローリングと同じで、つなぎ目をずらして貼っていて、全体になるとこれが模様になります。三枚返しともいいます。一番端や、サイドもマージンフランクといって、曲線も綺麗に貼っています。ただし、これをやろうとすると、全部交換しないといけませんので、お金もかかり一部変なところもあります。
「木製ベッド」

綺麗に貼られたタイル」

実は「帆船日本丸」は全体が丸い?
「帆船日本丸」はシェアといって、船首方向、船尾方向がカーブしています。あがるとデッキも湾曲、外板も湾曲しています。これをキャンバといいます。扉も実は平行四辺形になっています。ラインに合わせて、扉はふつう長方形ですが、対照的に合わせてあります。傾きは場所によって違いますので、みどころです。これは、見た目の綺麗さではなく、強度や水捌けをよくるため、滞留しないようにするための工夫です。船の中に水があると、安定性が損なわれます。前が上がっているのはそういうことで、船側も膨らましています。これをタンブルホームといいますが、球形のほうが外圧に強いんです。傾いたときに浮力を多く取れるし、昔のコロンブスの船も丸く出来ています。

「正面から見た帆船日本丸」

今後のみなとみらいでの展望について
個人的な意見になりますが、高層ビルが増え、だんだん船が目立たなくなってきています。それからビル風がすごく、船首と船尾でも風の当たり方が違います。
博物館と船が停泊しているところは一段下がっていて、汽車道からもマストくらいしか見えません。ですので、目立つように工夫していかないといけないと思っています。
2017年3月に重要文化財に指定され、「帆船日本丸」の船内で当時の航海日誌や図面の現物の展示を開始
今年度から「帆船日本丸」の中で2ヶ所ほど展示室を設け、小さな企画展を開催し、3カ月ごとに内容を変えています。2017年3月に重要文化財に船とともに、文書や記録類を“つけたり”として指定され、一体で管理することが義務付けられています。当時の航海日誌と図面が500点弱ありますので、3月くらいから企画展を始めています。現物があるものを選んで展示し、1930年の国産のエンジンや予備品の説明展、セイルを作るための道具の紹介など、内容を変えることによってリピーターも増やしていきたいと思っています。コロンブスの航海術の紹介等も交えながら、定期的に内容を変えていきたいと思っています。

2018年12月、20年ぶりのドライドック実施へ!
永く保存活用していくために大規模改修を行うことになりました。今回は、水線下の補修を集中的にするということになり、20年ぶりにドライドックを実施することになりました。2013年に超音波で外板の板厚計測を実施しており、薄いところはだいたい検討がついているので今回はそこを重点的に改修していきたいと思います。内部についても、鋼鈑が錆びているところもありますので合わせて改修します。

「水抜きの様子1」


「水抜きの様子2」

ドックには大きなバルブが2ヶ所あり、魚は行き来できるようになっています。水を抜くと、ヘドロ、堆積物、海洋生物がぎっしりついていて、そのまま水を抜くと死んでしまい、悪臭が漂ってしまうので、その対策の為に船についたカキなどを取る準備をしています。今回のドライドックでは、見学会の実施も行いますので、沢山の方にお越しいただきたいと思います。

「帆船日本丸」は海に出ることはできるのか?
「帆船日本丸」は生きた形で保存されているので、今でも航海することはできます。また、そのために国際橋も外すことができる構造になっていて、実は海に出られる仕組みになっています。動き出すというイベントは人も呼べますし、メディアの注目も高いと思います。ただ、交通も遮断され、警備などの対応に8億かかるとの試算も出ています。費用対効果を考えると実現するのは困難ではないかと思います。この場所でできることをしていきたいと思います。

「ライトアップした帆船日本丸」

 

みなとみらいとともに歩む「帆船日本丸」、横浜港の歴史と役割を伝える「横浜みなと博物館」(2)

帆船日本丸

1930(昭和5)年建造。練習帆船として54年余活躍。現在は船内の一般公開、海洋教室の開催などの事業を行なっている。隣には横浜港の歴史を楽しく学べる横浜みなと博物館を併設。

2018年11月~2019年3月末頃(予定)まで大規模修繕工事のため休館中です。

  • ショップ・スポット名
    帆船日本丸
  • 住所
    神奈川県横浜市西区みなとみらい2-1-1
  • 電話
    045-221-0280
  • 営業時間
    10:00〜17:00 ※入館は16:30まで ※月曜休み(祝日の場合は開館、翌平日休館)

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