横浜のお城を探して。ぶらり歴史散歩
ある日のこと。隊員A、テレビでお城の番組を見ていて、ふと思いました。「横浜にお城はないの?」。さっそく横浜市役所に問い合わせてみると、「現存するお城はありません」と残念な答えが……。ただ、「城跡を整備した公園は何カ所かありますよ」と気になる情報をゲット!今回はその中の一つ、都筑区にある茅ケ崎城址公園へ行ってみました。
この茅ケ崎城址公園とは、14世紀末〜15世紀前半にかけて築かれた茅ケ崎城の遺構を公園として整備したもの。平成21年には横浜市指定史跡にも指定されています。行ってみると、戦国武士たちが暮らした北郭・中郭・東郭・西郭の跡がちょうど広場のように開けており、かつての様子をほうふつとさせるよう。この「郭(くるわ)」とは、堀や土塁、石垣で囲まれた区画のことで、郭をいくつも作ることで城が成り立っていたのだといいます。茅ケ崎城の場合、中郭より3メートルほど高い位置にある東郭が城の中心「主郭」と考えられており、いくさの時には激しい戦闘が繰り広げられた……のかも!
今は近隣に住む方々が散策するなど、のどかな雰囲気の茅ケ崎城址公園。隊員A、「つわものどもが夢の跡」という俳句をふと思い出しました。
かつての城が港北ニュータウンに!
都会的な街並みが広がる港北ニュータウンのほぼ中央、早渕川の南岸にあたる茅ケ崎城址公園。横浜市営地下鉄「センター南」駅から徒歩10分足らずという近さです。古くから地元では「城山(じょうやま)」と呼ばれてきた丘城で、現在は眼下にマンションなどの風景が見下ろせます。
「虎口」の意味とは?
とても危険な場所や状態の例えとして使われる「虎口(ここう)」という言葉。城の出入り口のことも同じく「虎口」と書いて、「こぐち」と読みます。攻め・守りどちらの局面でも大切な場所であり、茅ケ崎城では侵入する敵に横から矢を射かける「横矢(よこや)」と呼ばれる構造などがあったそうです。
なんと!「埋蔵金伝説」が!?
本丸跡地の地主・深川汲五郎氏宅には、「黄金千貫、二千貫、朝日輝(て)る 夕日かがやく所にぞ ある」という詩(うた)が伝わっているんですって。これって、まさか埋蔵金を埋めた場所を示す暗号!?詠われている場所は、たいてい見当がついているそう。気になる〜!
当時の生活とは?
この時代、身近な植物が生活に活かされていました。たとえば竹は、マダケ・タケノコは食用に。柔軟にしなる性質を活かして、弓などの武器にも使われていたそうです。また、薬として用いられていたのも、もちろん植物。ヨモギ・ゲンノショウコ・タンポポなどが広く利用されていたんですって。
深さ7mの堀によって隔てられている中郭と東郭。当時は行き来のため、中央部分は土橋で連結されています。その上面は中郭より約2m、東郭より4m低くなっており、城の中核である東郭へ行くのは一苦労。隊員A、東郭へたどり着いた時には息が切れました……。
【参考文献】
・神奈川の城 西ヶ谷恭弘著 朝日新聞横浜支局 1972.10刊
・関東の名城を歩く 南関東編 峰岸純夫・齋藤慎一編 吉川弘文館 2011.7刊