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未来を照らす「道しるべ」 造船所の歴史に立脚する日本一への挑戦 三菱地所株式会社 合場 直人氏

合場 直人(Aiba Naoto)

1954年、東京都生まれ。小樽商科大学卒業後、1977年に三菱地所に入社。東京本社や大阪でニュータウン開発の経験を積んだ後、1988年の入社12年目に横浜ランドマークタワー事業の商業施設実務責任者に抜擢される。その後、同社代表取締役執行役員などを経て、2018年に株式会社サンシャインシティの代表取締役社長に就任し、池袋の都市開発・魅力向上に邁進する。

合場 直人(Aiba Naoto)

横浜の近代的でお洒落なイメージのシンボルとなっている「横浜ランドマークタワー」。
みなとみらい21事業の先駆けプロジェクトとして、1993年に建設されました。ショッピングモールやホテル、オフィス、展望フロアといった多彩な機能を集約した70階建ての超高層ビルは、日本一の高さ296.33mを記録し、名実共に未来を照らす指標となっています。この横浜ランドマークタワーはいかにして建ったのか。知られざる完成秘話を、ランドマークプラザの実務責任者として、東奔西走した三菱地所株式会社の合場直人氏(現株式会社サンシャインシティ代表取締役社長)と紐解きます。

シンボルを創る

シンボルを創る

JR桜木町駅東口に隣接する動く歩道の終点には、「横浜ランドマークタワー」が屹立しています。その高さは296.33mで、当時、国内最高。延べ床面積約392,000㎡を誇り、宮殿を思わせる重厚な装飾が施された地上70階建ての超高層ビルは、大きく低層棟と高層棟に二分されています。

低層棟には、約200店舗が軒を連ねるショッピングモール「ランドマークプラザ」や、500人が収容可能な多目的ホール「ランドマークホール」が。高層棟には、8階から48階に約8,000人が働くオフィス機能、49階から70階に「横浜ロイヤルパークホテル(客室約600室)」が併設されています。また、69階の展望フロア「スカイガーデン」からは、横浜港を一望することができ、観光に欠かせない人気のスポットとなっています。

都心の間の造船所

横浜造船所の様子
横浜造船所の様子

横浜ランドマークタワー周辺は、かつて三菱重工業横浜造船所がありました。1891年に横浜船渠(せんきょ)として船舶修理の操業を開始。1935年に三菱重工業と合併し、同造船所が誕生したのです。

港に近い駅周辺に造船所が広がる光景は、全国的にも特徴的で、1950年代頃まで発展の象徴として受け入れられてきました。しかし1960年代に入ると、東京の人口急増により、これまで都心であった関内・関外の他に、横浜駅周辺にも都心機能が集積していきます。これにより三菱重工業横浜造船所は、横浜駅周辺と関内・関外という二つの都心の間に位置する状況となりました。

この解決策も含めて横浜市が掲げたのが、1965年に発表された「6大事業」です。
ですが、この事業は、三菱重工業横浜造船所の移転協力なくしては進めることができませんでした。移転交渉は、1969年から横浜市企画調整局が中心となって行われ、度重なる交渉の結果、1980年3月に移転が決定します。移転完了には、そこからさらに3年の年月を要しました。

「日本一のビルを建てよう」

建設中のランドマークタワー
建設中のランドマークタワー

造船所跡地の約20haを買い受けて開発を担ったのが、三菱地所株式会社でした。民間主導で取り組む大規模プロジェクトの先駆けで総勢56社が関わる一大プロジェクト。建物だけで2,700億円の事業費が見込まれるなど、期待の大きさを感じさせます。

「これからの横浜を発展させていくために、何をしたらよいのか。そればかり考えていました」と振り返るのは、株式会社サンシャインシティの合場氏。当時、三菱地所株式会社に入社して12年目、34歳の合場氏は、「それまでのニュータウン開発では、2階建などの宅地開発を多く取り扱ってきました。それなのに突然、70階建てのタワーなんて、スケールの違いに戸惑いました」と、苦笑いを浮かべます。合場氏は、商業施設開発の実務責任者に抜擢されました。「オフィスやホテルの実務責任者も30代の社員が担当していて、仲間たちと『みなとみらいを発展させるんだ』『日本一のビルを建てよう』と互いに鼓舞し合ったのをよく覚えています」

膝を突き合わせ、本音で語る

現在のランドマークプラザ
現在のランドマークプラザ

横浜ランドマークタワーの構想発表後、商業施設の出店希望者向け説明会がパシフィコ横浜で開催されました。200のテナント向区画に対し、集まった事業者は800社以上。「メディアでも多く報道されていましたし、世間からも注目を集めているのだと実感していました」。しかし、説明が進むにつれ、暗雲が立ち込めてきます。「オープンは1993年7月だと伝えると、ファッション系の会社から『7月は夏物セールが終わって商材もない。非常識だ。』。立地場所を伝えると、飲食系の会社から『海に囲まれていて、周辺にまだ何も建っていない場所には商圏が見込めない』。いずれの主張も頷けますが、それでも言葉を重ねました。現時点でもこれだけ注目を集めている。将来は観光もビジネスも、多くの人が行き交う街になるはずだ」

丁寧に説明を重ねながらも、合場氏には急がなければならない理由がありました。「三菱地所株式会社は構想発表から5年で完成、と掲げており、スケジュールを逆算すると、地元の同意を得るために、私に残された時間は、1年と少ししかありませんでした」。かつてない規模の商業施設の建設は、周辺の既存業事業者の理解を得なければスタートできません。地元の理解なくして、“日本一”の施設は成し得ない――。

「困りあぐねて社内の先行事例を調べようにも、先行事例はほぼありませんでした。とにかく会いに行ってみようと、向かった先で『みなとみらいのMMは、三菱未来のMMだろう』と揶揄されることも少なくありませんでした。『結局、どんな施設になるかわからない』と言われたこともあります。それでも、どこにでもあるものを創るわけがないでしょう。横浜市の発展のため、日本一を一緒に創りましょうと、理解を求めていくしか無かったんです」

1993年7月16日のオープン直前。開業1時間前まで、ランドマークプラザ各店舗で仕上げの内装工事が行われていました。そして迎えた開業の時。数千人が列を成し、華々しいスタートを切りました。

歴史と思いが込められたタワー

様々なイベントに活用されているドックヤードガーデン
様々なイベントに活用されているドックヤードガーデン

2023年に開業から30周年を迎えた横浜ランドマークタワーは、その人気に陰りを見せることなく、累計来館者数は8億5千万人を突破。みなとみらいをけん引し続けています。

みなとみらい21事業では、未来の都市像の一つとして「水と緑と歴史に囲まれた人間環境都市」を掲げており、ここに残された数少ない歴史資産を積極的に保存活用する方向性が示されています。その歴史資産の一つが、横浜ランドマークタワーの「ドックヤードガーデン」です。かつて三菱重工業横浜造船所で使用された、日本に現存する最古の石造りドックの「2号ドック」は、時を経て、現在プロジェクションマッピングによる演出イベントなどで活用されています。

「着工から40年を経て、9割以上が完成したみなとみらいは、働くだけの場所ではなく、ビジネスと賑わいが複合した『ワーカー、来街者の分け隔てなく人々が楽しめる』場所になっています。こうした視点は、三菱地所株式会社でもノウハウが共有され、丸の内の再開発などにも大いに役立てられました」

「それに、」と合場氏は言葉を続けます。「今、ようやくハード面が整備され、今後はこの街で活動する企業や商業施設、人との交流から生まれるソフト面を発展させていくことが求められると思います。海に囲まれた環境や、造船所の歴史といったみなとみらいの価値を生かして、みんなが憧れ続ける街であって欲しいですね」。横浜ランドマークタワーは、造船所の歴史を基盤に、合場氏をはじめとする天空を突くようなまちづくりへの思いに支えられ、今日も横浜にとどまらず、日本のシンボルであり続けています。