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みなとみらいでしか味わえない体験価値とコミュニケーションから生まれる文明開化 パシフィコ横浜 林 琢己 社長

林 琢己(Hayashi Takumi)

1960年生まれ。1985年に横浜市に入庁。市民活力推進局市民協働推進部長や金沢区長、経済局長、副市長を歴任し、同社代表取締役社長に2022年6月29日付で就任した。2023年には伊勢原市と観光振興に係る包括連携協定を締結するなど、MICEの誘致・開催を通じた地域の活性化に貢献する。

林琢己(Hayashi Takumi)

みなとみらい21事業のリーディングプロジェクトとして横浜国際平和会議場(通称パシフィコ横浜)が誕生してから約30年。累計来場者数9,022万人、イベント開催数年間700件を優に超える日本最大級の複合コンベンションセンターとして確固たる地位を築いています。平成から令和へ、時代の中で積み重ねてきたノウハウとは?コミュニケーションから生まれる価値とは?パシフィコ横浜を運営する株式会社横浜国際平和会議場の林琢己代表取締役社長にその歩みと見据える未来を伺いました。

日本最大級のコンベンションセンター

シンボルを創る

水と緑を一体的に感じることができるみなとみらいの海岸線。その一角で、大海に漕ぎ出す真っ白な船の帆や巻貝をイメージした特徴的な外観で個性を放つのが、日本最大級のコンベンションセンター「パシフィコ横浜」です。

東日本で唯一約5,000席を擁する国立大ホールや、大規模展示会などのイベントが可能な20,000㎡の無柱展示ホール、大小約50室からなる会議センター、約600室を備えたホテルなど「MICE」に必要な機能が集約しています。2020年には8分割が可能な約6,300㎡の多目的ホール等を設けたパシフィコ横浜ノースも開業。時代に即したアップデートを重ね続け、国際交流の玄関口として、観光MICEをけん引しています。

MICE:Meeting(企業などの会議)・Incentive Travel(企業などが行う研修旅行)・Convention(国際機関や団体などが行う国際会議)・Exhibition/Event(展示会・見本市・イベント)の頭文字で、国内外を問わず多くの集客や交流が見込まれるビジネスイベントなどの総称。一般的な観光とは異なり、都市ブランドの向上やビジネス機会の創出、まちの活性化といった付加価値が期待されている。

国際交流拠点としての第一歩

建設中のパシフィコ横浜
建設中のパシフィコ横浜
建設中のパシフィコ横浜

誕生のきっかけは、1965年に横浜市が示したまちづくり計画である「六大事業」の1つである「みなとみらい21事業」です。1983年に埋立が始まり、埋め立て後のまちづくりの段階で、そのリーディングプロジェクトとして「国際交流拠点」と「集客(街の賑わいづくり)の拠点」の創出の役割を担うべく、1991年にパシフィコ横浜は誕生します。

名称の「パシフィコ」は、「パシフィック(太平洋)とコンベンション(国際会議)」の造語です。林社長は、「みなとみらいはまだ埋立地が造成されたばかり。周りには何もなく、当然今の横浜高速鉄道のみなとみらい駅も無い。桜木町駅からのアクセスも悪かった。「ほぼまっさらな埋め立て地の突端に、まず新しい国際交流施設であるパシフィコ横浜を開設したのですから、その期待感と、開港都市としての矜持のようなものを強く感じます。その分、バスの手配など、社員は大変だったと聞いています。」

「国際交流拠点」となるには、世界中から多くの人々が集まり円滑に会議を進めることができる会議場の整備が必要となりました。この役割を果たすのが、国立大ホールです。「みなとみらい21事業は、経済の活性化や経済基盤を確立する横浜の自立性の強化と、東京に集中した首都機能を分散させる必要がありました。当時は、大規模な国際会議も開催可能なスペックを持った国立の会議場が京都にしかなく、パシフィコ横浜の国立大ホールは、東日本唯一の国立の国際会議場として整備されたのです」

舞台の準備が整った1994年、ついにパシフィコ横浜の全ての会場を利用した初めての国際会議である「第10回国際エイズ/STD会議」が開催されました。会期は8月7日から12日までの6日間。アジアでの国際エイズ会議は初めてのこと。「地球規模でエイズに挑むー未来のために力をあわせてー」と掲げられたスローガンの下に、世界130カ国から約12,500人が参加しました。「日程調整から受け入れ、会期中の運営サポート、送り出しまでの一連の流れを経験するのは初めてでした。当時の社員の方々は相当大変だっただろうと思います。その甲斐もあり、このパシフィコ横浜の存在を世界に発信することができました」

「第10回国際エイズ/STD会議」等の国際会議の成功体験を経てから、2002年に開催されたFIFA日韓ワールドカップでは、展示ホールに国際メディアセンターが置かれ、大会開催前後も含めて4カ月半の間、約1万人の国内外の報道関係者の情報発信基地となりました。また、2010年には、21カ国・地域が参加した日本APEC(アジア太平洋経済協力)横浜2010で首脳会議や閣僚会議などの会場に。直近では、ポケモンWCS(ワールドチャンピオンシップス)2023が開催されたりと、多くの国際会議や大会の舞台となっています。

世界の玄関口としてのおもてなし その舞台裏

建設中のランドマークタワー
第7回アフリカ開発会議(TICAD7)

国際会議といっても、実際には会議を運営する人々やそこに出席する人々は大変だと思いますが、会場側にとっては何が大変なのでしょう。率直な質問を林社長にぶつけてみると、「実は知られざる裏方の大変さがあるのです」とほほ笑みながら、その舞台裏を教えてくれました。

林社長によると、そもそも会場確保のための日程調整が大変とのこと。大規模な国際会議は、分刻みで行動する各国の指導者たちが集まります。こうした参加者の日程を考慮してスケジュールを確保しても、突発的な事情で急変することもしばしば。「スケジュールを再調整するにも、国際会議の希望日に別イベントの開催が予定されていると、各方面と改めて調整する必要が生まれ、綿密な交渉力と的確な判断力が求められます」

さらに、国際会議は、テロなどの危険性を常にはらんでおり、警備に充てる労力も大きいといいます。「各国のリーダーが集まる国際会議は、開催期間中、周辺道路を通行止めにすることもあります。みなとみらいは一般の方も多く生活する場所ですから、『規制が強くて自宅に帰るのも大変だ。』など、お叱りの声をいただくことも。しかし、事故やトラブルなく国際会議を開催するには、周辺住民の方のご理解とご協力が必要不可欠で、それには日頃からの関係性の構築が重要なのです」

ほかにも、異国の文化や風習への対応、横浜周辺の案内など、調整事項は多岐にわたるとのこと。華やかな国際会議の舞台裏で様々な調整や工夫がなされており、そうしたノウハウが蓄積しているからこそ、パシフィコ横浜の国際会議の会場別開催件数は19年連続で国内トップを維持し続けているのです。

プレ・アフターコンベンションの充実から生まれる価値

国際会議の様子
国際会議の様子
第14回みなとみらい大盆踊り
第14回みなとみらい大盆踊り

イベントは新型コロナウイルス感染症の世界的な流行を受けて、オンラインでも参加できるハイブリット型の開催が急速に増えている。また、国際会議の主題となるテーマも、経済成長を主目的とする発展から、地球環境への影響を考慮した持続可能な発展へと移行しつつあります。

「現地参加者が減ると、中小規模の施設でも催事が開催可能となるため、国内外のMICE施設の競争は激化しています」と林社長は語り、社員のデジタルリテラシーの向上による「DX(デジタルトランスフォーメーション)」や、2050年までにCO2排出量実質ゼロをめざす「サステナビリティ」、そして、地域経済の発展とエリアの活性化に寄与する「地域との共創」の方針を打ち出しています。

たとえば、「みなとみらい21共通飲食券」の販売は、地域との共創の方針と軌を一にする事業で、1998年から取り組んでいます。みなとみらいの約230店舗で使えるみなとみらい共通飲食券を配布し、パシフィコ横浜以外でのコミュニケーションの場の創出につながるきっかけとなっています。

「会議の前後に人と人とが交流する場を設ける、プレ・アフターコンベンションの充実はとても重要です。みなとみらいにはビジネスやR&D(研究開発施設)、観光施設が国内トップクラスで集積しているエリアなので、各施設の魅力を活かしたプログラムを生み出し、みなとみらいを回遊する仕掛けを作ることで、MICE参加者に大いに楽しんで頂きたいと思っています。そうすることで、人々が自然と交流し、コミュニケーションが生まれ、新たな文明開化につながっていきます。この『みなとみらいでないと味わえない』という体験価値を大切にしていきたい。この先も、誰もがワクワクするようなまちであり続けてほしいですね」