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発祥の地へ回帰した日産「みなとみらいはワクワクし続けるまち」 日産自動車株式会社 岡田 洋 様

岡田 洋(Okada Hiroshi)

1973年生まれ。建設会社、日産関連会社を経て、2006年に日産自動車株式会社へ入社。みなとみらいの新本社プロジェクトチームに配属される。その後経理部にて建設投資管理を経験し、現在は日産の事業所における不動産の開発・マネジメントを担うグローバル資産管理部に所属し、数多くの建設プロジェクトに携わる。

岡田 洋(Okada Hiroshi)

2023年に創立90周年を迎えた日産自動車株式会社。「他がやらぬことをやる」という創業の精神のもと、日本の自動車産業をリードしています。そんな日産が創業の地・横浜に本社を移転したのが2009年のこと。企業の中枢機能の集約をめざしてきたみなとみらいにとっては悲願とも言える出来事で、日産の進出以降、多くの企業がみなとみらいへと進出するターニングポイントとなりました。新本社の建設プロジェクトに携わったグローバル資産管理部の岡田洋氏に、移転秘話と、移転してから見えてきたみなとみらいの“みらい”を伺いました。

橋と橋を結ぶグローバル本社

横浜駅から臨む日産グローバル本社
横浜駅から臨む日産グローバル本社
はまみらいウォーク
はまみらいウォーク

国内有数のターミナル駅・横浜駅の東口からそごう横浜を抜け、帷子川(かたびらがわ)に架かる橋「はまみらいウォーク」を渡った先にある巨大なビルが、日産自動車株式会社グローバル本社ビルです。日産は、言わずと知れたグローバル企業。電気自動車「日産リーフ」で脱炭素社会を牽引し、長期ビジョン「Nissan Ambition 2030」では、2050年までに製品のライフサイクル全体でカーボンニュートラルを実現する目標を打ち出しています。

この本社の敷地面積は、約10,000㎡で高さは約100m、地上22階、地下2階。実は、珍しい特徴があります。それは、本社ビルの2階部分が公共通路としてビルを貫通しており、帷子川(かたびらがわ)にかかる橋「はまみらいウォーク」から、とちのき通りにかかる「みなとみらい歩道橋」に接続しているということ。みなとみらいにくる人は図らずして本社ビルの中を通ることができるのです。公共通路からは、本社ビル1階にある「日産グローバル本社ギャラリー」が見渡せます。ここには、日産リーフ、セレナ、NISSAN GT-R、フェアレディZ、スカイラインといった市販車や、往年のヘリテージカー、レースカーが展示され、さらに試乗体験や日産がトップパートナーとなっている横浜F・マリノスのパブリックビューイングといった多彩なイベントに参加することができます。

創業の地への回帰

創業初期の横浜工場(提供:日産自動車株式会社)
創業初期の横浜工場(提供:日産自動車株式会社)

日産は、1933年に横浜市神奈川区で「自動車製造株式会社」の名で設立され、1968年に本社機能を東京都中央区銀座へ移転。移転後は、同社のイノベーション精神に基づく革新的な自動車製造と日本の高度経済成長の波に乗り、国内外の経済をリードしてきました。

銀座本社ビルからの移転のきっかけは、銀座本社ビルの老朽化だったと、岡田氏は語ります。「銀座に本社ビルを構えてから約40年が経過し、老朽化が課題になりました。建て替えか、移転か。社内で検討した結果、当社の創業の地であり、横浜工場をはじめとして県内各地に多くの事業所や関係会社のある横浜市への移転が決定しました」

移転は2004年6月24日、当時の日産社長と横浜市長とで共同発表されました。現在は1,800社以上が進出するみなとみらいですが、当時は約1,000社ほど。特に日産が進出した66街区周辺は、まったく建設が進んでいない更地でした。岡田氏は、「確かに当時はまだ何もない場所でしたが、横浜駅に隣接する66街区は、アクセスの利便性が高く、日産の神奈川県内の各拠点との連携を強化できる点や従業員の通勤手段を確保しやすい点が、非常に魅力的でした。横浜市の方から移転に伴う投資に対するインセンティブなど、みなとみらいへの積極的な企業誘致のお声がけがありました。」と理由を語ります。新本社は2007年に着工し、2010年の移転完了を目指すことになりました。

「可能性という大海に漕ぎ出す帆船」

日産グローバル本社の建物を貫通する公共通路「NISSAN ウォーク」
日産グローバル本社の建物を貫通する公共通路「NISSAN ウォーク」

岡田氏は、「国際文化都市をめざすみなとみらいと、グローバル企業としてさらに世界に進出していく当社の姿勢が合致していました」と振り返ります。約2,000人が働くこととなる新本社のコンセプトについて、「日産自動車の歴史の新たなターニングポイントですので、港町である横浜と、日産のチャレンジ精神を掛け合わせ、『可能性という大海に漕ぎ出す帆船』をビルのデザインコンセプトとしました」と話します。

明確なコンセプトが打ち出された一方で、苦労した点もありました。それは、本社ビルを公共通路で貫通させる、というものでした。「この公共通路は、“日産のものであって、日産だけのものではない空間”という特殊な空間でした。どのようにデザインするか、多くの議論が交わされました」と当時の苦悩を振り返ります。それに、と岡田氏は言葉を続け、「横浜駅とみなとみらい方面のアクセスを考えた時に軸線をまっすぐに引くことができず、さらに接続した先の公共通路の高低差にもズレがありました。これらを建物設計に反映するのは、苦労しました」と、思い出を語ります。

これらの解決策として、公共通路部分をあえて直線で結ぶのではなく、帷子川をイメージしたS字曲線でデザインし、さらに、“日産だけのものではない空間”を生かすため、通路から見下ろすことのできる空間に日産グローバル本社ギャラリーを配置することで、通行人の視線を変化させる工夫を施しました。

現在、日夜多くの通行人が行き交っていますが、岡田氏は「当初は、こんなに人が通るとは想定していませんでした。近隣にアンパンマンミュージアムができたこともあり、小さなお子さんを連れた家族が通っているのを見ると、胸が温かくなります。歩いているお父さんが、ギャラリーをまじまじと眺めつつ、子どもに車の説明をしているところを見ると、良い空間が出来たなと感じますね」とその効果を実感しています。

また、本社ビルには随所に日産の精神が隠されていると、岡田氏はいいます。「このビルは帆船をイメージして作られたとお話ししましたが、この帆船の舳先は、私たちの創業の地・横浜工場を指し示しています。本社ビルの従業員入口には、このビルのコンセプト『可能性という大海に漕ぎ出す帆船』という文字も刻まれています。さらに、空から本社を見ると、帆船の形になっているんです。様々なところで、このみなとみらいの地から、グローバル企業としてさらにまい進していく覚悟を表しています」

ワクワクし続けられるまち、みなとみらい

日産グローバル本社ギャラリー
日産グローバル本社ギャラリー

当初計画から1年前倒しとなった2009年8月、ついに本社ビルがオープンしました。これに呼応するように、富士ゼロックス(株)横浜みなとみらい事業所(現富士フイルムビジネスイノベーション(株)、2010年4月オープン)、資生堂グローバルイノベーションセンター(2019年4月オープン)、京急グループ本社(2019年9月オープン)、村田製作所みなとみらいイノベーションセンター(2020年12月オープン)、LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER(2022年3月オープン)など、次々にみなとみらいへの企業進出が続きます。

現在では、進出した企業同士での交流も生まれ、異業種の企業同士が手を取り合い、コラボレーションすることで、新たな発展につながる土壌が出来つつあると言います。

岡田氏は、「みなとみらいは働く人だけでなく、ここに住む人、ここをめざして集う人など多彩な背景を持った人が集まっています。私も含めて、彼らはここで生まれる新しいことに出会い、ワクワクしています。みなとみらいは、成長を続け、文化的にも刺激もあるワクワクし続けられる街なんです。当社もその中で変化と成長を重ね、みなとみらいから生み出される“みらいの一部”になれたらと思います」。